義務教育など

先日、書店に行きました。

というのも、私はよくFFの読了投稿から次に読む本を決めることがあるので、今回もその要件で。S&Mにはまってて、(まだ5巻くらいしか読んでないですが、)森先生の新書で「科学的とはどういうことか」という本を探してたんです。そしたら、その隣に、同じ著者で「勉強の価値」という本が目に留まって、なにこれー!と1人テンションが上がっておりました。(なお、2冊とも購入済)

 

ここ数年、(受験期をかけて?)何のために勉強しているのか、自分の中で義務教育にはどんな意味があったのか、よく考えていたので、その話と、本から読み取ったこと(偏りあり)と、感想とを織り交ぜながら書いていきたいなと、

思います。

 

<自分は義務教育をこんな感じで考えている>

 私は、というか全員が、義務教育ですべての教科を学びました。この理由としていろいろ考えられることはあります。が、今までの持論は「とりあえずまんべんなくいろいろなものに触れる。そのうえで興味を持ったことを追求する。」でした。この転機はおおよそ文理選択が多いのかな、と個人的には思います。実際、私はいろいろな仕事があることや、いろいろな分野を覗いてきたうえで、医療に興味を持ち、いまに至ると考えています。

 けれど最近弟に「自分が何をしたいのかわからない」と言われました。その時私は、「今までたくさんのフックがあってもなお、興味のあることがないということなのか」と感じました。(私の先生(?)はよく「フック」という言葉を使うので、ここでも使わせてもらいます。たくさんの情報が自分の中に入っては出ていく中でも、自分の中に残ったもの=フックに引っ掛かる、みたいなイメージです。)高校に進学することも珍しくない時代。周りに流されるまま、受け身のまま、なんとなく進級し続けているとフックに何も引っ掛からない人も出てくるのか、と驚いた記憶が。義務教育の負の面なのか、とも。いや、フックは日常生活にもある。経験が浅いのか?なんともいえない。

 

カンボジアの子供たち>

 前にカンボジアに行った話をしました。その時にお会いした企業の方の一人が、カンボジアの農村部にいる子供たちに将来の夢を聞いたという。子供たちは、医師・教師・農業などの数個しか挙げなかったそうです。また、カンボジアは学校のドロップアウトや、教育が高等になるほど就学率が低くなるということは数字でわかっています。ここからわかることは

世の中の職業を学ぶ機会がない(これはお会いした企業の方がこの課題に取り組んでおられました)

自分の能力を客観視できない(この二つ目は、カンボジアに同行してくださった方に言われました。はじめ言われたときはほんとうにお恥ずかしながら、ピンと来てなかったです。後でまた。)

の2つです。医師や教師になりたいと思いつつも、実際の自分の能力との距離がつかめず、農場で力仕事を行うことになってしまいます。これではフックも圧倒的に少ない。

 

<森先生の本から考えたこと>

今回読んだ「勉強の価値」という本から少しづつ抜粋しながら、考えたこと、納得したことたくさんありました。

 

・勉強の価値=「観察力」「予測力」「想像力」を高める → 抽象性にある

 これを読んだ時、自分の中で考えられた具体例は2つでした。1つは算数。私は小学校2,3年生の時に(記憶が怪しい)習った「概算」という単元にとても感銘を受けたことを覚えています。だいたいいくらくらいだろう、というなんとなくの計算は今の自分にもとても有益です。概算という単元そのものが算数の抽象度を高めたものなのかな、と今では思います。2つ目は社会(特に歴史)。私たちは何かを予測して危険であればそれを無意識のうちに回避して生きています。歴史はもう少し視野を広げていて、昔このような政治が行われて、こんな結果になっているということを知ることによって、現状を捉えなおし予測する力が身に着く。これが社会科における「抽象度を高める」ことなのかと思います。(最近は哲学なんかもこのひとつなのかなと思っています。)

 

 今は2つ取り上げましたが、他の科目も抽象度を挙げた例はあるはず。

→ 別著:「科学的とは何か」(?)というものに、理科を学ぶことの重要性について先生は明記している。これは科学を学ぶことに対する抽象度を上げているように思う。

 

・勉強とは ①理性を育てる ②自分寄りの行為である ③己を知る行為である

 先生は、理性を育てることを、「別のものさしを教える」というように表している。

 特に③について、先ほどカンボジアで学んできたことの中に「自分の能力を客観視できない」ということを書きましたが、まさにこのことだな、と思いました。これは、他の人より速く走ることができるから喜ぶ、他の人より計算が遅いから悲観するという話ではなく、自分の足の速さはだいたいこの程度なんだということを自覚することにつなげる、ということです。(これも森先生が。)自分の能力がこの程度で、自分が目標とするものはこの程度の能力が必要で、だからこれくらい頑張る、というような指標が、カンボジアには欠けていたのだな、と感じました。指標が、というよりかは、同世代との集団生活が、ですかね。カンボジアでこのことを教えてくださった方はこのようなことを仰っていたのだろうか、、、。

 

・勉強にはインプットとアウトプットがある。ご飯が多すぎる(インプットが多すぎる)と、おなかいっぱいになり、つらくなる。また、それ以上のご飯をうけつけなくなる。なお、おなかを空かせるための運動の機会(アウトプット)はテストしかない。

 学校の校外学習もアウトプットにあたるのかな、と考えていました。でも、インプットを続けないといつまでたっても義務教育の中身が終わらないこともまた事実。

 勉強がつまらないとはこのことなのでしょうかね、最近ツイッターで、ストレスを感じるときは仕事に行き詰まったときだ、というのを見かけました。勉強もインプットやアウトプットに行き詰まったときストレスと感じるのだろうか?

 自分が興味がある講義、好きな講義は別腹なんですかねー。お金を払ってでも勉強したいというのはこのことでしょうか?

 

・義務教育とは自分の勉強の発見である。インプットをして、「思い、考え、気づく」無意識の思考・発想がその人なりのアプリとなり、インストールされていく。

 これはとても納得しました。こんかいもカンボジアでの話を取り上げますが、同行してくださった方に、義務教育をどのように考えているか、尋ねました。そしたら、例えば理科を学ぶとき、生命に対するリスペクトが芽生える。というお話を聴きました。これは、抽象度の話にもつながりますが、みんないきている、という無意識のインプットなのかな、と今考えています。

・また、義務教育はその後の学びの基礎となる。何か勉強を始めようとしたときに、基本的なこと(文章が読める、計算ができるなど)ができる。

 これは本当にそう!仕事をするという行動ひとつとっても、基礎となりますね。  

 

 最近読んだ本で、「科学の公衆理解」についてのことが書いてありました。例えば、防波堤はどの程度の津波を守れるのか、ワクチンの効用など、科学的根拠に基づく知識を持ち、判断することが日常生活に役立つ、というものでした。しかし、このような数値の判断は、義務教育で科学に対する、もしくは数字を扱う態度を養うことで可能であるとも書かれていました。確かに、根拠もなくおびえたり、根拠もなく余裕を持ってしまって後から公開する結果になる、ということはあっては困ります。

 

<弟は>

 始めに自分は教育を「興味の追求」と書きましたが、本を読んでもなお、私はそれを間違いだとは思いません。けど、弟には自分が生きていく上で不便にならない程度には勉強しておいて、と伝えたいと思います。進路が分からない、興味を持てるものがない、という問題に対する答えではないが、いまはなんとなくでも、やりたいことが見つかったときにそちらに向かいやすくなるように勉強するように、と。

 

 

 

なんか思ったより適当に連ねていたので、これ以上書くと文が散乱しそうなので、やめます。

 

 

 

カンボジアでのおはなし

カンボジアに行ってきました。」

「どうだった?」

「楽しかったです。」

みたいな会話を帰国してから無限に繰り返してます。

 少し質問を付け足すなら「食べ物大丈夫だった?」「日本のご飯の方がおいしいでしょ」とか聞かれたし、「やっぱ衛生面とかしんどいよね」とか言われました。(虫食べた???とかもういい!聞くな!!!)

適当に返事する自分が良くないことはわかってます。真面目な返答を相手が求めてないだろうな、ってときももちろんある。けど、自分がカンボジアで得てきたものは楽しかっただけではないし、一言では尽きないし、もうとにかくたくさん。って話を、大真面目に、帰国から1か月経つ前に記録に残しておきます。(そして後で見返そうと思います。)

 

注:私の記憶から引っ張りだしているので少々曖昧な部分もあります

 

 

 

<私がカンボジアに行った理由と何やってきたかおおまかに>

 私が今回カンボジアに行ったのは、観光ではなくて、ビジネストリップでした。2024年2月26日~3月7日までの10日間です。私は看護学生やってるんですけど、学校の隣の科で、「地域と世界の問題を結び付けて考えよう!」みたいな授業をやってたのを見つけて、何か活かせるかな?と思い、参加しました。公衆衛生とか少し興味があったので、それについて何か解決したいな、みたいな感じです。

 カンボジアでは、現地で起業した日本人の方のところにお邪魔して、お話聞いて、ということがメインでした。そんなに堅苦しいことはなくて、なんで起業しようと思ったの?!とか、何がきっかけなの?!とか、ルーツというか、人生のはなしとか、いろいろ聞いて、学んできましたね。あとは、現地に実際に行って、あれ、日本と全然違う!!みたいな発見とかをしてそれを一緒に行った方と共有したり、これについてどう考える?みたいなのをずっっっっっとやってました。(それが楽しいのです)

 いろんな人といろんな話できて楽しかったです。例えば、建築の話、教育の話、歴史、文化、ビジネス、20年やそこらで得てきた知識めっちゃ浅いけど、(義務教育+αくらいだけど)それらをフル活用していろんな話をしてきました。(去年の奈良でもそんな感じでしたね、あれも楽しかった!) 教授の先生とか同行してくださった方、先々で出会う方々みんなが違う人生、違う職業だから見えてるものが違ってずっと驚かされてばかりでした。

 起業家の方にお話聞く以外には、クメールルージュ(というカンボジアの歴史がある(調べてみて))の博物館見に行ったり、マーケット視察したり、途上国の農村で生活する体験をしたり、アンコールワット行ったり、しました。私自身、初海外だったので、驚き驚きの連続でした。学校で発表会とかもしたけど、感想ちゃんと書きたいので、3流ジャーナリストですが読んでほしいなと思います。

 

 

 

<学校で発表したまとめはこんな感じ>

 カンボジアはめっちゃ規制がゆるい!!!例えば交通。バイクの免許いらないから、小学生かな??みたいな子とか普通に乗ってるし、二車線道路なはずなのに3台の横ならびはあたりまえ。(バイクはもっとならんでる)中央線をはみだしてというか反対車線大幅に使って追い越しはするし、、、キリない!それでもみんな、目くばせしあってぶつからないように雰囲気で運転してて、これで事故にならないんだ、みたいなのがいっぱいありました。私は運転絶対できない。無理。あとは、マーケット。屋根ついただけの屋外だし、生肉とか生魚は袋に入ってないものもあるから虫は多いし、においも、だいぶきつい、、、会った日本人の方も、何回かおなか壊したという証言を得てます。衛生面だいぶ緩いですね。

マーケット

 あとは、医療とかも衝撃的でした。ほんとにいろいろあるけど、、、例えば、救急車も含め、病院は先払い制です。あとは、お昼休みにナースステーションにナースがいないとか、1人の患者にお見舞いが4~5人はあたりまえ、ベッド間のカーテンの仕切りもないから病室には人がいっぱい、、、患者さんのプライバシーもあるので写真を撮ることはできませんでしたが、気が向いたらイラストにでも起こします。個人の感想ですが、案内していただいた日本人の方からなんとなく諦めの雰囲気を感じました。(でも、教育とか医療は歴史的背景があって、それで本当に現在進行形で発展中なんです。)あと、薬は市販でだいぶ普及しているみたいです。

 これらの規制の緩さのうらには、「自己責任」が伴う、という話が、私は印象的です。(まあ、そうですよね、、)日本は死ねない国だといわれました。車は歩行者のために止まるし、食品や水道水は絶対衛生で、医療もちゃんと受けられる。死にたくても死ねないのだ、と。しかし、カンボジアは規制が緩い分、自己管理を徹底しなければならないです。食品も、交通も、自分がどんな職を手につけるか、まで、自分で決めなきゃいけない。(生活保護みたいなのも少ないようです)だから、生きてるということを実感する、そうです。これが聞いた話で最も印象的です。スリや泥棒が多いといいましたよね、めっちゃ手口がプロらしいです。けど、スリはスリでプライドを持って仕事をしているのだ、と捉えるといい、というアドバイスもいただきました。なんか、スリ=悪さするとか貧乏とかなんかかわいそうとか、そういうイメージだったのがちょっと変わりました。(でもこれから海外行く方、スリ対策は絶対万全に!!!)こんな感じで、自己責任・自己管理だから自分で考えて一生懸命生きてる、自分のことに全力で生きている、と感じました。

 

<書いてるときに脱線しかけた医療のはなし>

 さっきの部分で、カンボジアの医療のマイナスな部分ばかり書いていたけど、日本よりもいい面ありますか、と聞いたらあるよ、と言われました。カンボジアの方が入院するとなると、お見舞いが家族総出なんですね。そして、患者さんの世話は家族が全部やります。これ、日本では看護師の仕事なので、その負担がない、と話していました。看護師が世話とかの仕事をすることが当たり前になっていると、悪く言えば、悪く言えば、傲慢になりやすくなるよなあ、と考えました。

 ちなみに、健康教育の普及はまだまだだそうです。途上国=感染症、ワクチンみたいな勝手なイメージ(わたしだけ?)ありましたが、実際は肥満・高血圧などの生活習慣病が多くなっています。カンボジアはカフェが多くて結構砂糖をいれてて甘いとか、エナジードリンクがめちゃめちゃ大人気でそこかしこに広告があったりとかで、まあ、とにかく砂糖の摂取量が多いようです。しかし、砂糖の含有量を把握していないどころか、砂糖入ってないとすら思っている人もいるようで、、、健康教育の大切さがわかりました。入院生活の話に戻りますが、患者の入院中の食事は家族が買ってくるので、栄養は、、、。

BrownCafe カンボジア発で、いろんなところにあります!

 

 

<考え方が変わった話・続>

スリや泥棒が、、、というお話しましたが、考え方が変わったお話をもう一つ。カンボジアの方は結構、ペットボトルとかごみとかを「ポイ捨て」するんです。村で祭りをやっているのに参加させてもらった時も結構ごみ落ちてて、神がいるのにゴミあっていいの、、、?と思い、現地の日本人の方に尋ねました。得た回答は、「現地の方は、水もゴミも、すべて自然から生まれ自然に返ると考えている。これは時間が経って、捨てるものがプラスチックになっただけで、プラスチックももとは自然からできたものだからそんなに悪いことだとは思っていない」という。「日本のポイ捨ての方がよっぽどたちが悪い」とも。んーーーーー。。。なるほど。と思った。これ、他から見たら誤解されちゃうだろうなぁ…もやもや…みたいなお話ですね。皆さんどう思いますか?

(私、理解と誤解は紙一重だと思うの、というサラ・マキナの言葉を思い出します…)

 

<農村での体験>

 Wi-Fiも届くかどうか、、みたいな村で、2泊3日の農村体験をしてきました。英語は話さないので、ホームステイ先の小学生の子とは、クメール語の指差し会話みたいな本を先生から借りてなんとか、自己紹介をしあいました。発音も、巻き舌が多くて、子供たちに何回も馬鹿にされながらも繰り返し発音して、何とか真似してOK出してもらいました。

クメール語(小学生が書いてくれた)フリガナは主が書いた

今まで英語難しいな、、、と思っていましたが、英語よりわからない文字に出会うと、英語使えることが本当にありがたい!!!英語万歳!!!て気持ちになります。本当に、わからなかった、、、けど、身振り手振りでも、なんとかなんとか、意思疎通をはかりました(-_-;)

クニョムチモア…で、私の名前は…て意味になります。まったくわからない。世界は広いな、、、、

 

農村の体験はとても貴重でした。ガイドさんが来て、ガイドさんの地元の話をするうちに、「じゃあ行ってみるか!!」って流れになったり、この木の実たべれるよ~ってなったときにすぐ味見したり、祭りやってるらしい、え、参加してみる?みたいなのが連鎖連鎖で、

その日の予定がなかったはずなのに、結局忙しかったです。

端から見たら、何してんだ、って感じなんですけど、ここから学んだこと

1.興味を持って話を聴く

2.行ってみよう、やってみよう、と1歩踏み出す

3.それをするための心理的・時間的余裕

  これらは、その先の扉、楽しい経験を得るために持っておくべき必要なものだそうです。 自分の心の扉を開いておくことによって、相手も心を開いてくれる。 その相手は人かもしれないし、植物かもしれないし、もしくは雰囲気??? 自分と相手との相互作用、これが働くために、必要なんです。 (心の扉、オープン! だそうです)

 

 最後は、ひろーい畑に座って、ニワトリが歩いているのを見たり、牛が草を食べているのをぼんやりと眺めながら夕日が沈んでいくのを見守る静かな時間を過ごしました。 各々、目をつむって瞑想したりとか、自然の音に耳を傾けたりとか、していて、いい具合に時間が経ったときに、ふと視界の隅に、ケサランパサランが舞ってきたんです。 これも相互作用のおかげ? と笑いながら、楽しい時間は幕を閉じました。 ゆったりと時間が流れる農村の生活で、「〇時に集合ね!!」みたいなことはせずに、みんなそろそろごはんの時間かな…? そろそろ、、、と周りの空気や雰囲気を感じ取りながらなんとなく行動したり、声を掛けたりして、行動していました。 もっと、他の人の様子を「察する」力が自分には足りないと感じました。他人の顔色をうかがう、というわけではないですが、気を遣える人間になりたいです。

 

農村体験では、サンボ―プレイクックという遺跡にも行きました。 遺跡の見学ツアーみたいに、この遺跡は~という説明を聞くのではなく、自分で遺跡を眺めながらゆったり歩いたり、座って遺跡を眺めたりしました。 朝8時とか9時とかの時間で、涼しい時間で素敵な朝日とともにいい時間を過ごしました。 遺跡は、本当に神秘的でした。

私実はまったくと言っていいほど遺跡に興味なしの人間です! 理系でずっとやらせていただいてるし、歴史とか本当に興味がないので、遺跡見学とか正直乗り気じゃなかった。。。 いままで、学校とかで遺跡見に行っても、「あ、これ教科書でみたやつだ!」くらいでしかなかったんですね。 今回の遺跡見学が、もし、この遺跡は~とか聞きながら回るだけのツアー観光客みたいな感じだったとしたら、私は、「あ、こんな建物もあるんだな。」くらいで終わってました。 けど、そうじゃなくて、ゆっくり回る、座って眺める、みたいな時間を遺跡の中で作ったら、「自然と一体になっている遺跡を守りたかったのだな」「これを昔の人は守ってきたのだな」と肌で感じることができました。 遺跡に興味を持ち始めたとか、遺跡の知識が増えただとか、そういうことではないけれど、遺跡と自分との距離が近くなったような気がしました。 (こればっかりは言語化が難しい、、納得したけりゃ自分で行って体験してくれ。 )

ジブリみたい(個人の感想です)な遺跡

 この遺跡、めちゃくちゃインパクト大。

この写真撮ったところに、すごく大きな木があって、その木陰でみんなで横になって寝ました。 寝よう! って言ったわけではないけれど、ちょっと休憩、って言いながら、座ってたら、風の音とか、気持ちよくて、みんななんとなく横になり始めて、爆睡。遺跡と時間・空間を共にする経験ができてよかったです。

この横の木を切ってしまうとレンガの遺跡が崩れてしまう。 けれど、大きくなりすぎてもバランスを崩す。 絶妙な手入れがなされています。

 

 農村でのホームステイ先には、給湯器はなかったので水シャワーでした。(けど、気温が37℃とかあるので汗だらだらで入るの最高です。)上水はないので井戸から水をくみ上げます。(すごく力仕事)飲み水はすべてペットボトル。なので、水はすごく貴重!皿洗いで水を出しっぱなしにするなんて言語道断。いままでに水は大事だ!貴重だ!と教わってきましたが、実感することはなかったので(お恥ずかしい)とても貴重な経験だったと思います。

 

<こんな人間になりたいと思った>

 ・いいと思ったものには投資する

今回、いろいろな場面で買い物をする機会がありました。 その中で、この商品はいい、この商品はすごい、と思ったものには投資をする、という考えを教えてもらいました。 自分のお金の使い方を改めて考えるきっかけとなりました。

 

・出会いを大切にする

出会いはその場限りだといわれました。 それは人との出会いだけでなく、物、機会もそのようです。 やらない後悔よりやる後悔とも。 常に臆病な自分とはさよならして積極的にチャンスをつかんでいきたいと思います! とくに人とのご縁は大切にしたいな、、、!

 

・ちゃんと相手のこと考える

 農村体験のところで、他の人の様子見ながら自分も行動するようにしたいと思ったと書いたんですけど、改めて。これは本当に自分に足りないので、注意しようかなと思います。あと、訪問先の方にお土産選んだのですが、お土産と言えばコレ、ではなくて、相手のこと考えて、日本食が喜ばれるかな、とか、インスタントだとお湯だけでいいな、とか状況を考えることの必要性を感じました。最終日に差し入れで、日焼けしたから、と顔パックいただいたのにはとても感動しました!(この差し入れベストすぎる!!!)

 

・アウトプットできる

 自分が思ったことをそのまま口に出すではないですが、考えたことを共有してそれに対する考えを深めたりして、良い勉強ができたので、継続したいと思います。

 

・コストをかけてでもやってよかったこと

これは最近考えていることです。 自分が今回、お金や時間をかけてカンボジアに行ったこと、また、農村で時間をかけて遺跡を見たこと、これ書いてる時間、とかとか、、、

いつもは時間が無駄、お金が無駄ということばかり考えている生活の中で、では、自分が何にだったらお金をかけるのか、時間を費やすのかをずっと考えています。 これは、考え続けていきたい問題だなと思います。

 

 

 

 

カンボジアの話はだいたいこんな感じです。 書き残しは更新すればいいかな?

今回の海外の経験を伝えられてうれしいですし、みなさんの経験も聞きたいなぁと思うので、声かけてほしいなと思います。特に旅行の話は国内外問わず大歓迎です!

 

最後までお読みいただき感謝です!

 

<旅の小噺集>

 

・料理

おいしそうでしょ!!! 観光客向けのホテルの朝食だからというのもありますが、伝統料理はこんな感じものもあります。

朝食は、左端にある豚肉と卵焼きが多く、農村でもいただきました。

ホテルのだけど、、クメール料理!

 

・コンビニ

これコンビニで買ったアイスなんですけど、隣国のタイ産のアイスなんですね。

コンビニにて

写真はないですが、日本のチョコ菓子のトッポとか売ってました。 コンビニの中の商品が、国産品が多いとか輸入品が多いとかを見ると、その国の発展レベルが分かるそうです。 特にアイスは、冷凍輸送の技術も必要なので1回溶けてまた固めたアイスも見受けられます。 

 

・農村の星

カメラのスペックの問題も、私の腕の問題もありますが、星めっちゃきれいでした! この夜に光が少ないのもあります。 12月末に流星群撮ろうとしたことがあったんですけど、その時、街灯多すぎて見えなかったというショックな出来事があったので、よかったです。 この星空の下で、みんなで円になってミーティングやったのがいい思い出です。

ほし

最後にアンコールワット乗せます。 日の出最高!!

アンコールワット



 

本棚にはその人の性格が出る?

おはようございます。

早速飽き性を発揮しております。(始めてから一回も更新していない(-_-;))

 

現在いろいろあってお家で暇を持て余しており、本棚の整理をしていたときにふと本棚を紹介したいなと思い立ち、書いている次第です。…春休みの暇つぶし自己満足に少々お付き合いください。

 

よく本好きの間では「名刺代わりの小説10選」なんて言葉で自分を表すことがありますね。たまに、ツイッター(いまはXでしたね)とかでも本棚の写真を載せたりする方がいて、私はそういうの見るのがすごく好きです。本棚ってほら、性格出るじゃないですか!

 

この前カンボジアに行ったときも(この話も飽きなければまた書きたいと思います。)ホテルの本棚はオーナーさんセレクトだと聞いてバシャバシャ写真撮らせてもらいましたし、奈良の友人のお家に泊めてもらったときも、本棚見せてもらいました。長年来の友人は本が多すぎて自宅図書館のレベルになってて楽しいですね。(そういえばその友人は最近引っ越したと聞きましたが、本の行方はいかに、、、)他人の感性で選んでいる本棚って、、、おもしろい!(小並感)

 

何が面白いかを頑張って言語化してみるけど、んー、、

1.自分が普段目にしない本が並んでいる

2.その人が何に面白さを感じていて、何に興味があるかわかる

が大きいと思います。自分のお気に入りの本って本棚に絶対入るでしょう???

 

私の本棚を他の人に改まって紹介することなかったので、よかったら聞いてください。

 

本棚は全部で4段あります。本棚には、

1.既読の本しか置かない

2.自分が本当に好きな本しか置かない

3.本棚からあふれたら吟味する

のマイルールがあります。特にこの3のルールがあるから、本を買っては入れ替え、の作業がはいるので、この本棚はあくまでも現時点で、ってことになります。(1年後はまた違った本棚になっている、、、!)

 

ではでは、

まず、私の本棚の1、2段目です。

本棚1、2段目

 

 本当は1段ずつのつもりだったのですが、写真撮るのがへたくそで2段入ってしまっいました(;^_^

 一番左の3冊は「乙女の本棚」というシリーズの絵本です。昔の文豪の本を、すごく絵の上手い絵師さんが絵をつけた、素敵な本なんですね。これコンプリートしたいな、と思いつつ、高くて買えてません…

 「向日葵の咲かない夏」は友人に勧めていただいたミステリ。めっちゃ面白かった。でも、自分では絶対に選んでいない本だったなとも思うので、おすすめしてもらってよかったと本当に思います。

 知念実希人さんがずらり、これは私が医療系目指すきっかけになったので取っておいてます(新刊たのしみにしてます!)

 そのとなりは黒後家蜘蛛の会、これはアイザックアシモフという方の本ですね。私はアームチェアディテクティブというジャンルのミステリがめちゃ好きで、その名の通り、アームチェアにゆったりと座った探偵が、依頼者の話だけをもとに推理するというジャンルです。実際、アームチェアに座っているわけではないですが、探偵は現場に行かず、依頼者が依頼に来て、探偵は動かない、みたいなイメージ(私の解釈)です。外国作品って、名前がカタカナだから覚えにくくて、しかもニックネームで呼び合うからさらにちんぷんかんぷんになりがちですが(個人の感想です)これは何とか奇跡的に読めている希少な外国作品になります。私も黒後家蜘蛛の会みたいなのやりたいけど、、、私は女なので無理ですね(笑)

大きすぎて本棚に入らない

 黒後家蜘蛛の会にはまだ翻訳されていない本があるらしく、なにそれ!!!!!てなった高校時代のワイ、アマゾンで英語版を購入。アメリカンジョークとかもまあまあ飛んでくるので、英語弱者には厳しいですが、いつか読めるようになりたいです。

 シャーロックノートはめっちゃ面白くて好きなのに、続編出る雰囲気がないので困ってます。作者がんばれ!!!!!

 十角館は有名なので読みました。さすがでした。

 博多豚骨はアニメから入って、ハマって、アニメ放送されてない部分を小説で読んで、て感じです。いずれ揃えます。(見てる人いますか?)

 米澤先生の本はまた後でお話します。

 

2段目!!

 本バラバラなので少しずつ割愛します。

 檸檬は、檸檬爆弾という発想が何年たっても好きだから取っておいてます。そして誰もいなくなったはすごく面白かった!クローズドサークル万歳!!!!S&Mシリーズの本は全部ほしいけど本棚が足りない、、という悩みによって買えておりません。

 辻村深月さんのこの本2つはちょっと気味悪くて好きなので置いてます。

 怪盗レッドは小学校の時に全部そろえてたのに売ってしまって、でももう一回読みたくて買いました。今後揃えます。サステナビリティと観光立国は、大学に入ってから講義いただいた先生の本で、すごく講義が心に残り買わせていただきました。隣は1冊終わった御朱印帳です。

 私単行本めっちゃ好きなので大判も買います。硝子の塔めっちゃよかった!他の本へのリスペクトもあり、作者まじでミステリ好きなんだな、、、って思います。泣きました。むらさきのスカート~ブラックボックス芥川賞です。(ここに同情塔もはいります)芥川賞めっちゃ好きで、読了後の後味の悪さがまたよい(ほめてる)。推し燃ゆとかすごく読んでほしい。人間っぽくて好き。流浪の月は実写化されましたが、イメージしてた主人公大学生とちょっと違くてショックだった記憶が。。。ファンの人ごめんなさい。爆弾は一気読み案件なのでぜひ。傲慢と善良は恋愛小説でした。すごく文章が美しくて、好きで、図書館に返したのち自分で買いなおしたレベル。

3、4段目

 3段目!!!薬屋はこっち集めてます。12巻買ってないと思ったら買ってた(笑)

あとは全部米澤先生に捧げてます。めっちゃ好き!!!!!!!!!全巻ではないけれど、。もう本当に、同じ世界に生きていてよかったと言える。先日金沢で講演会あったのも行きました。4段目は写真と教科書類ですね。なぜか教科書捨てられないんです。昔は写真を1枚ずつ

 

 

、、、本棚は以上となります!つたない文章に付き合っていただきありがとうございます。全部は紹介してませんが、前提として全部好き、ということなのでよろしくお願いします。私はこれらの本で人生とか性格とか構成されているんだな、、、とかたまに本棚を眺めてて思います。(大げさ)みなさんはどんな本を読みますか?本棚を改めて眺めてみると面白いですよ(^^)

はじめまして

はじめまして、まゆまると申します。

現在、大学に行きながらゆっくりと暮らしています。

 

なんとなく時間があるなぁと思って、YoutubeTwitterを繰り返す日々を何とかしたくて、別なことをしたくて、開設してみました。

 

自分が毎日感じること、考えることをちょっとづつ書いていきたいなと思ってます。

自分の文章力もあがったらいいなと思います。

 

飽き性だけど、続くようにがんばります(-_-;)